令和2年度 中小企業「強靱化」シンポジウム

〈シンポジウム登壇者インタビュー〉

95%の店舗が震災当日に営業
セコマの「神対応」を支えたもの

株式会社セコマ 代表取締役会長 丸谷 智保 氏

2018年の北海道胆振東部地震、全道が停電(ブラックアウト)した中で、
住民を支えたのが北海道最大手のコンビニ「セイコーマート」だった。
他のコンビニやスーパーの多くが休業する中、ほとんどの店が当日も営業を続けた。
いったいなぜこのようなことが可能だったのか。

第1回中小企業「強靱化」シンポジウム
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 2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震。マグニチュード6.7、最大震度7を観測したこの地震では道内で43人が亡くなり、北海道全域295万戸が停電、多くの商業施設が休業を余儀なくされた。
 しかし、道内に1100店舗(2018年8月当時)あったコンビニエンスストア「セイコーマート」は95%以上の店舗が営業を続け、被災直後の市民の生活を支えた。
 地震が起こった直後から開店、ガスを使って店内で調理する「ホットシェフ」で温かいおにぎりや総菜を提供していた店も多く、メディアやSNSで「セコマの神対応」が話題となった。
 いったいなぜ、このような対応が可能だったのか、どのような準備をしていたのか。

 当時、セイコーマートの運営会社・株式会社セコマの社長を務めていた丸谷智保会長は「店舗はチェーンストアなので、どの店もやることは同じです。停電になったら自動車から電気を取って、最低限の電源を確保する。レジはとりあえず1台動かす。電源不要の会計端末も準備していました。まずは店を開ける。それぞれの店ができることをやる」と言う。

 セコマは2004年に道内に大きな被害をもたらした台風18号の被害を契機に、全店に車載電源を家庭用コンセントに変換するコンバーターと延長コード、手元を照らすLEDライト、マニュアルなどをセットにした「非常用電源セット」を配布した。その後もマニュアルは何度も改訂を重ねてきた。

活きた東日本大震災の経験

物流イメージ

 東日本大震災の経験もあった。首都圏でも店舗を運営するセコマは、当時、茨城県と埼玉県に約100店舗を構えていたが、両県にある大半の店舗が被害を受けた。
「店を開けることはできても、物流がなければ商品を提供できない。災害時にコンビニが物資供給の拠点になるといっても、物流がなければ商品を提供できない。そういう意味ではやっぱり物流と物の確保。それから燃料です。トラックを動かす燃料をどのように確保するか。その重要性は東日本大震災で改めて認識しました」

 セコマは釧路に100%自家発電で可能する配送センターを持つ。東日本大震災や台風被害の経験から2016年に高台に移転、自家発電設備を設置した。トラック30台分を3~4週間稼働できるだけの軽油を備蓄していた。
「2年前の胆振東部地震で、札幌の配送センターは完全にやられましたが、道東の釧路の配送センターは問題ありませんでした。電気も自家発電設備があるので大丈夫です。燃料もあるので最初の2日間は、釧路の軽油を札幌の配送センターに回して商品をピストン輸送しました。その後は優先的に給油を受けられる証明書が届き、ガソリンスタンドで給油できるようになりました」

 災害時にまず必要になる水やカップラーメンなどは丸谷社長(当時)自らメーカーに調達を依頼、茨城にある同社の物流センターまで配送してもらい、フェリーで苫小牧に輸送した。東日本大震災の時には北海道から関東に物資を送ったが今回は逆になった。
 セコマは現在、直営店が約8割を占める。旗艦店に大量の荷物を入れ、そこからスーパーバイザーなどが各店へ運ぶ。物流も楽になるし、自ら生産拠点を持つのも強みだ。
「サプライチェーンをグループ全体で管理している強みを活用できました。それでも完全復旧には1カ月かかった。あれだけ素早くできた。よくできたと言っていただいたけれど、完全に戻すには1カ月かかりました。ほかのところはもっとかかっているところが多い。
 同じような時期に起こった大阪を直撃した台風では、港近くの倉庫業者が甚大な被害を受けました。2年経ってもまだ復旧できていないところも少なくない。そうなると事業そのものの継続が難しくなる。元に戻すには結構な時間がかかります。大切なのはできるだけ早く元に戻すということです」

復旧が遅れれば遅れるほど顧客を失う

BCPイメージ

 今や社会インフラとなっているコンビニエンスストアは「災害時の私的公共機関」でもある。中小企業が同じことをできるわけではない。では、どのように備えればいいのか。
「中小企業もそれぞれにコアとなる強い部分があり、社会性があります。それでもまず一番に考えるべきは自分たちが生き残る、赤字に転落しないようにするにはどうしたらいいかということです。1カ月で元に戻すにはどうしたらいいかということから考えると計画が立てやすい。BCPはBusiness Continuity Plan(ビジネス・コンテュニティ・プラン)。本当は『経営継続計画』。元に戻すのが遅れれば遅れるほど、お客さんが離れてしまう。離れてしまったお客さんを戻すことは本当に大変です」

 丸谷氏はBCPはリハビリと同じだと言う。リハビリは苦しいが、辛くても続けていくと早く復帰できる。そこでサボってしまうと復帰が遅れる。厳しくても頑張り、早く元の状態に戻すことが必要だ。
「いろんなことをする必要はないです。どこかと提携して従業員の水、食糧くらいを供給できるようにする。そしてPCをどうやって復帰させるか。データの復旧ができなく商売が戻らないというケースは多いようです。もう一つ予備のサーバーを作ってバックアップをしておくとか、最低限これだけは、という視点で計画を立てるといいと思います」

従業員が共有する「地域のため」という意識

コンビニイメージ

 セコマでは従業員の教育も結果的に大きな効果があった。現場の店舗のスタッフ1人ひとりが日々の業務を通じ、地域のためにという意識を育んでいた。
「研修や日々の業務を通じて、われわれ地域に密着した会社は、地域のお客さんに支えられている。何かあったらそのお客さんたちに応えるんだ、ということを徹底しています。内容は接客が中心です。最近は災害時の話もしますけど、それまではもっぱら地域に密着しているんだ、会社の考え方や、我々がよって立つ基盤はここなんだ。というような話をしていました」

 セイコーマートの各店舗では、それぞれの地域で地元の人たちが従業員として働いている。地域の人口が数百人という地区に出店しているケースも少なくない。
 従業員一人ひとりに、コーポレートロイヤリティならぬ、「コミュニティロイヤリティ」が刻み込まれている。災害が起こった時にすぐ自分に何ができるかを考え、動いた。
 本部から指示を出す前から、店舗が自主的に判断して動いていた。停電で真っ暗な中、6時から店を開けていた店もあった。近隣店舗の店長が連絡を取り合い、家庭に不安のある従業員をすぐに帰し、店を回したケースもあった。北海道が大変な時こそ、セイコーマートの出番だという意識をパート、アルバイトも含めた従業員が共有することができていた。

 丸谷会長自身、胆振東部地震でセコマの役割について思いを新たにしたと言う。「分かっていたつもりだけど、やはりすごく考えされられました。従業員にもさらに根付いた気がしています。だからコロナでも頑張ることができていると思う」
 新型コロナ感染拡大の影響で、小売り各社が苦戦する中、セコマはこの2カ月売上高が前年度比100%。都市部や観光地は厳しいが、トータルでは前年の売上を維持している。
「やはり地域に密着しているんです。それでほかのコンビニにないようなものもうちに置いてあるといってお客様が来てくださる」

 セコマは胆振東部地震への対応をきっかけに平時業務の効率化、年間約1億円の経費削減にもつなげたという。災害対策を通じ、経営をさらに強くする――。そセコマの経営にはさまざまなヒントがある。

丸谷 智保 氏

丸谷 智保(まるたに ともやす)

株式会社セコマ 代表取締役会長

1954年北海道池田町生まれ。慶應大学法学部卒業後、1979年北海道拓殖銀行に入行。シティバンクを経て2007年株式会社セイコーマート(現 株式会社セコマ)入社。専務取締役、取締役副社長を経て、2009年代表取締役社長に就任。2020年4月より現職。

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