令和2年度 中小企業「強靱化」シンポジウム

〈シンポジウム登壇者インタビュー〉

2度の津波被害から復活
「かもめの玉子」が紡ぐ、地元企業との絆

さいとう製菓株式会社 取締役会長 齊藤 俊明 氏

第2回中小企業「強靱化」シンポジウム
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 1933年、岩手県大船渡の地に創業した和菓子の老舗、さいとう製菓。主力商品である「かもめの玉子」は、今では三陸を代表する銘菓となっている。1960年のチリ地震と2011年の東日本大震災という、2度の大きな津波被害を経験しながらも、そこから見事な復活を遂げている。

かもめの玉子イメージ

 チリ地震の際、さいとう製菓は家族経営のまだまだ小さな会社だった。病気がちな父に代わり、現在の会長である齊藤俊明氏と、弟の俊祐氏の二人で再建を目指した。お菓子作りは未経験だった齊藤会長。その当時、大変な創意工夫を繰り返し、誕生したのが「かもめの玉子」だった。

 チリ地震の経験から、災害への対策は常日頃から行っていた。避難訓練はもちろんのこと、「地震・津波・避難」と各営業支所に大きく掲示し、避難経路の地図を書いた案内板を設置するなど、地震が来たらすぐに高台に逃げるように社員に周知していた。

 そんな中、2011年3月11日、東日本大震災で大きな津波が襲いかかる。当時、盛岡にいた齊藤会長は大急ぎで会社のある大船渡に戻った。幸い社員やその家族は全員無事。だが、自慢だった本社と和菓子工場を津波で失った。幸運だったのは、高台にあった「かもめの玉子」の製造工場がなんとか致命的な被害を免れていたことだった。さいとう製菓の社員はさっそく復旧に乗り出すことになる。

 困ったのは原材料の調達だった。商品を作るのに欠かせない卵が、なかなか手に入らない。そんな状況の中、納入業者が優先的に卵を提供してくれるという。「かねて、極端な値引き要求はしない、といった取引先との共存共栄の姿勢を社内でも徹底してきており、そうした関係性が奏功したのかもしれませんね」と齊藤会長は振り返る。そして、なんと被災から約1カ月後の2011年4月上旬には、製造再開にこぎ着けた。被災者の人たちには、「かもめの玉子」を無償で配った。さいとう製菓のいち早い再開は、地域の企業経営者に大きな勇気を与えという。

 次第に交通機関が復旧し、ボランティアなど人の動きが活発化する中、さいとう製菓はV字回復を遂げていく。特に通信販売では、大口の注文がたくさん入り前年比増にもなった。しかし、その復興特需も3年目に入った頃にストンと無くなった。齊藤会長は、これからは自助努力が大切だと考え、「かもめの玉子」を個包装化し、賞味期限を延ばすなどの改善をしていった。

 お土産として買われることの多い「かもめの玉子」。今回の新型コロナウイルスの影響では、人の移動が制限されている中、大きなダメージを受けている。ただし、危機感が社員の一体感を生み出すことにもつながっており、ピンチをチャンスに変える途上にあるという。

大船渡湾イメージ

 齊藤会長は言う。「企業は地域にとって無くてはならないもの」。企業は社会を構成する一員であり、地域への貢献と、地域の人々からの協力が不可欠ということを、震災を通して実感してきた。2度の震災、そして新型コロナという環境の中で、いかに持続的に事業を続けていくのか。齊藤会長が、自らの経験を元に紹介してくれる。

齊藤 俊明 氏

齊藤 俊明(さいとう としあき)

さいとう製菓株式会社 取締役会長

1941年生まれ。大船渡商工会議所前会頭。1960年のチリ地震津波、2011年の東日本大震災と大船渡を襲った二度の津波を乗り越え、零細の自営菓子製造業から三陸を代表する菓子メーカーに成長。銘菓「かもめの玉子」をはじめ、岩手県産の地元素材を使った和菓子・洋菓子を製造・販売している。

さいとう製菓株式会社

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