令和2年度 中小企業「強靱化」シンポジウム

〈シンポジウム登壇者インタビュー〉

商店街とワンチームで
震災復興
コンベンションホールへ
“変身”のワケ

株式会社八幡台やまたまや 専務取締役 幸德 信市 氏

第2回中小企業「強靱化」シンポジウム
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 福島県いわき市にある「八幡台やまたまや」は、地元の冠婚葬祭や集会行事などの施設として、長く親しまれてきた。2011年3月11日の東日本大震災の際は、災害避難施設として県から認定を受けていたこともあり、400人ほどの住民が避難所として活用した。しかし4月11日と12日に発生した、震度6強の余震で、施設は壊滅的な打撃を受けた。

 やまたまやグループ創業の場所だけに、同社社長の再建への思いは並々ならぬものがあった。それに応えるべく奔走したのが幸德信市氏である。現在、同社の専務取締役を務めている。

 地元のうえだ商店会も大きな被害を受けた。幸德氏は、うえだ商店会と密接な連携をとって復興を目指すことにする。まず必要なのは、復旧のための資金調達だ。国が助成をしていることを知り、「グループ補助金」制度へ、うえだ商店会とワンチームとなって申請を試みる。

 商店会の会長と相談しながら、第1次の募集に応募。しかし、まだ体制が整っていなかったこともあり落選。それでも幸德氏は諦めず、改めて商店会の加盟店への説明にまわっていく。すると、最初の募集では6つの加盟店しか賛同を得られなかったが、第2次募集では、26もの加盟店が賛同してくれた。結果、2次募集でパスして、街の復興へと動き始めた。

結婚式イメージ

 震災前の「やまたまや」は総合結婚式場の色彩が強かった。震災からの再建にあたって、より地域の人に使ってもらいやすいようにと、コンベンションホールとして生まれ変わった。また、震災時に生活に必要なライフラインが使えなくなった経験から、太陽光パネルを設置したり地下水を引くなど、災害に強い施設を目指した。

 いわき市にはもう一つ、大きな問題があった。原発事故による放射能の影響だ。いわき市は、緊急避難エリアではなく自主避難エリア。亡くなられる方が日々いる中で、葬祭業を営む同社は、活動できる間は絶対に休業しないという決断を下す。社員のさまざまな事情をくみ取りながらも、使命感を持って結束して取り組んだ。幸德氏は当時をこう振り返る。「目の前のものを一つずつ丁寧にやっていくことで、明日が見えてくるという思いだけだった」。

 今回のコロナ禍でも、できる限りの感染防止対策をしながら、葬儀の仕事は毎日継続しているという。東日本大震災を受けて、災害対策を進め、継続的な事業実施に努めてきた幸德氏。困難を乗り越えてきた核心を、自身の言葉で紹介していく。

幸德 信市 氏

幸德 信市(こうとく しんいち)

株式会社八幡台やまたまや 専務取締役

1968年大阪生まれ。アメリカライオグランデ大学卒業後、社会人経験を経て、家業である食品製造業に従事する。平成7年8月より、(株)八幡台やまたまやに勤務し、平成19年10月に取締役に就任。ブライダル、宴会など冠婚葬祭を中心とした接客サービス業務に従事。22年8月に専務取締役に就任。23年の東日本大震災後は現職として復興活動に従事している。

八幡台やまたまや

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