令和2年度 中小企業「強靱化」シンポジウム
〈プレイベント登壇者インタビュー〉
県外の同業企業と連携し
災害時にも納品を
守り切る
株式会社賀陽技研 代表取締役 平松 稔 氏
災害時に最も大事なのは、業務の再開ではなく納品を止めず顧客とつながり続けることである、
という考えのもと、賀陽技研の平松稔社長は、県外の同業企業と連携し、災害時に助け合う協定を結んだ。
BCPの取り組みを開始して約7年、社員の危機意識も向上し、採用にも良い効果が出ている。
岡山県吉備中央町の賀陽技研は、自動車部品などの精密プレス加工、プレス金型製作、板金施策品製作を手掛ける。賀陽技研の前身となるのは、平松稔社長の父・昭輝氏が1973年に創業した富士電機工業だ。承継を前提に入社した平松社長だったが、父はリスク管理のために分社化を検討。平松社長は「分社するなら経営者として実力をつけるために独立したい」と考えた。弟と当時の係長とで出資し、分社ではなく独立する形で2012年に賀陽技研を立ち上げた。
しかし、1年目から資金繰りに苦しみ、従業員の給与が払えなくなるほどの窮地に陥ってしまう。このとき平松社長は「前身となる親の会社があったとしても、独立したからには後ろ盾は期待できない。賀陽技研としてしっかり名前を売っていかなければならない」と考えた。
独立の翌年、知り合いの紹介で平松社長は岡山県の産業振興財団が主催するBCP実践塾に参加した。
「岡山県はもともと災害の少ない土地。防災についての危機意識があったわけではない」と平松社長は振り返る。それよりも平松社長が期待したのはBCPに取り組むことで自社をブランディングしたいという思いだった。
当初はBCPが何なのかよく分かっていなかったという平松社長だが、BCP実践塾の講師が東日本大震災の例を出し、「最も大事なのは復旧ではなく、いかに納品を守るかであり、それが仕事をつなぎとめることになるのです。事業を再開するためにどんなに頑張っても、その間に顧客はいなくなってしまうのです」と説明するのを聞き、BCPへの取り組みに注力する決心をした。
新潟の工場と「お互いさま連携」
どうすれば災害時に納品を守ることができるのか―――。模索する平松社長に講師は、他県の同業企業との「BCP連携」を提案した。
BCP連携とは、離れた場所に位置する企業同士が、どちらかが災害に遭ったときに助け合う仕組みだ。「BCPに1円も使えないような経営状況の当社にとって、先生から聞いたこのBCP連携は救いの一手のように感じた」と平松社長は話す。
早速新潟県を訪れ、講師に紹介された同業のミノル(旧ミノルプレス)の工場を見学した。さらに、その夜、商工会議所が主催する懇親会でもう一社、後藤金属工業との出会いも果たす。
「後藤金属工業は当社が手掛けていないスピンドル加工もできる。連携すれば、自社のビジネスの幅が広がるのではないか」と平松社長は考えた。
この後、新潟県の2社が今度は岡山の賀陽技研の工場を見学に訪れ、お互いの金型を交換して実際に製造してみるなどの確認を経て、正式にBCP連携が成立した。賀陽技研はこれを「お互いさま連携」と呼んでいる。
連携成立後、幸いにもBCP連携が必要な災害は起こっていない。今、ミノルとは年に一度挨拶を交わす程度だというが、「もしものときのためのお互いさま連携。特に密なやりとりがなくてもつながっているのがこの連携の特徴」と平松社長は説明する。
一方、後藤金属工業とは見積もりのやり取りなどが頻繁にあるという。スピンドル加工を賀陽技研の営業項目に加えて、受注があれば後藤金属工業に依頼している。
「BCP連携をきっかけに発想が広がったことは大きいと感じている。事業内容だけでなく、営業範囲も岡山県内から日本全国という視点に広がった」(平松社長)。
中小企業だからこそ決めた「3つのいたしません」
お互いさま連携は賀陽技研のBCPの取り組みの柱の一つ。そのほか、マニュアルの作成や社内訓練などを実施しているが、ほとんどコストは発生していない。平松社長はBCPの取り組みを始めた頃から「資金も人も少ない中小企業は、大企業と同じやり方はできない」と考えていた。
そこで、BCPを進めるにあたり「3つのいたしません」を決めている。
・高額な防災設備は作らない
・工場の二重化はしない
・高額な設備投資はしない
ここの「3つのいたしません」を決めた背景には、取り組みを始めた頃、平松社長が大手の製薬会社を見学した経験がある。工場の周囲には洪水に備えた大きな堤防があり、工場内には自家発電装置が設置されていた。
「資金力のある大手ならできるが、中小企業は起こるかどうかも分からない災害に備えて、多額の設備投資はできない。多額の設備投資をして備えることがBCPなのであれば、中小企業の経営者はBCPに取り組もうなどとは考えないだろう」と平松社長は考えた。
実際、平松社長自身も、BCPだけを考えるとまったく魅力を感じていなかった。取り組もうと思ったのは、BCPを顧客と納品を守るための経営戦略と位置付けたからだ。
この経験を踏まえ、「中小企業はBCPと経営をセットで考えるべき。つまり儲かるためにBCPが存在するという考え方で取り組めば、きっと意義のあるものになるはず」と平松社長はアドバイスを送る。
社員の危機意識が高まった
賀陽技研では現在、年に3~4回、災害の訓練を実施している。地震や洪水を想定し、「どう動けばいいか」をそれぞれがグループで話し合い、発表する。
この訓練を主導するのが、「BCP戦略プロジェクト」のメンバーだ。賀陽技研では、5S改善や商品企画、IT化など部署横断のプロジェクトを立ち上げており、その中に「BCP戦略プロジェクト」もある。メンバーは自ら手を挙げた3人だ。本業が優先であるためどうしても就業後の取り組みになるが、プロジェクトは業務時間扱いとして残業代の対象としている。
当初は平松社長が一人で推進していたBCPだが、今はBCP推進プロジェクトの3人が自主的に動くようになったという。
「訓練の後も、メンバーが主導して反省会を実施している。もっとこうすればよかった、この内容をBCPに取り入れようなど、社員から活発に意見が出るようになった。
コロナウイルスの対応も、私より先に社員が危機感を抱き後押ししてくれた。3月の時点で対応をまとめた“賀陽技研の姿勢”を発表したほか、グループごとに少人数で昼礼をしたり、昼休みの時間をずらして食堂の混雑を避けたりして対策をとっている。BCPに取り組んできたおかげで社員の危機意識が高まっていることを実感している」(平松社長)
社員の意識以外にも、成果が出ている。何より当初の狙いだった「ブランディング」の効果だ。
「BCPに取り組んだおかげで、岡山県内では当社を知らない会社はないと言えるほどの存在になれた」と平松社長は胸を張る。
2016年には内閣官房国土強靱化推進室が策定する「国土強靱化貢献団体の認証に関するガイドライン」に基づき認証されるレジリエンス認証企業に国内の製造業で初めて選ばれた。それにより学生からの注目度も高まっており、「学生からの応募が増えており、新卒社員はコンスタントに採用できている」と平松社長は話す。
今後の展開としては、「当社は山の上に工場があるので、今最も恐れている災害は山火事。そうすると被害は狭い地域になるはずなので、できれば岡山県内や関西くらいの近い距離でもBCP連携先を増やしたい」と平松社長は考えている。
また、国内だけでなくインドネシアなど海外の工場との連携も中長期的な視野で検討していく予定だ。
平松 稔(ひらまつ みのる)
株式会社賀陽技研 代表取締役
1971年岡山県生まれ。岡山県立岡山工業高等学校機械科卒業後、中国デザイン専門学校中退。1990年平松精工入社。2020年12月平松精工専務時代に賀陽工場を買取り、株式会社賀陽技研を設立。単なる「防災対策」ではなく、企業の成長に繋げる成長戦略としてのBCPに取り組んでいる。2016年、経営戦略と事業継続に関する取り組みを積極的に行っている団体に送られる国土強靱化貢献団体認証(レジリエンス認証)を、製造業として初めて取得。