アイ・エム・マムロ株式会社
- 所在地:山形県最上郡真室川町大沢4160-3
- 業種:製造業
- 従業員数:108人
- 代表取締役社長:髙橋智之
- ホームページ:
http://www.mamuro.co.jp/
「地域に安心して働ける場所を」という理念で創業した「アイ・エム・マムロ」は、ジギョケイの策定後も、BCP対策を強化すべく、さまざまな施策の検討と機器導入を継続。さらに事業継続を脅かす環境の変化にも耐えうるよう、将来の事業体のあるべき姿も視野に入れる。
「厳しい冬でも、地域に安心して働ける場所を」の思いで創業
日本の地方都市周辺部では、現在過疎化が大きな問題となっています。とくにかつて農業や林業を主力産業としていた地域では、それに代わる産業が育たず、数少ない若手が就労機会を求めて地元を離れるため、過疎化に拍車がかかっている状態です。
山形県北部、アイ・エム・マムロが本社を置く真室川町も、そうした地域のひとつです。同社代表取締役社長の髙橋智之氏は、地域の現状を次のように語ります。
「山形県は、海沿いの庄内、宮城県仙台市に隣接する置賜、県都山形市のある村山、そして新庄市を中心とする最上という、4つの地域に分けられます。当社の所在する真室川町は、その最上でも北の山間部に近く、冬になると積雪は2mを超え、田畑の仕事ができなくなります。そのため私が子どもの頃は、大人たちは小さな子どもを連れて都市部に出稼ぎに行き、地元には就学年齢の子ども、そしてお年寄りしか残らないのが通例でした」(髙橋氏)
冬でも働ける仕事を作り、そうした状況に歯止めをかけたい。その思いで立ち上がったのが、髙橋氏の父でした。
「当社は、私の父が昭和47年に創業しました。製造業のなかには『技術力で世界に貢献』といった大きな志を掲げ創業する会社もありますが、当社の理念は『とにかく冬の雪の日でも、屋内で快適に働ける場所を作り、地域の役に立ちたい』というものでした。私が後を継ぎ社長に就任した平成21年以降も、この理念に揺るぎはありません」(髙橋氏)
ジギョケイ策定の根底には、社長自身の被災体験が
同社はまず、東北に拠点を持つ大手オーディオメーカーのスピーカー組み立てを受託。その後、事業領域を拡大し、現在はMRIやロボットの可動部分に使われるリニアモーションガイドの製造、高級腕時計の組み立てなど、精密機器分野を中心に事業を展開しています。
同社がジギョケイを申請したのは令和元年。翌2年1月に認定を受けることとなります。このジギョケイの策定には、髙橋氏自身の経験が大きく影響していました。
「ひとつは、自分自身の被災体験です。昭和50年8月、山形県北部は集中豪雨に見舞われました。真室川町周辺に降り続いた雨は300mmを超える総雨量となり、町を流れる真室川の堤防が決壊し、死者4名、負傷者24名、行方不明者1名という大きな被害を生んだのです。このとき小学校4年生だった私も自宅から逃げ遅れ、母親と姉と一緒に家の屋根に上り、そこから堤防の上へ飛び移り、そこで救助を待ち、最終的に自衛隊に助けてもらいました。この経験が、自然災害の恐ろしさと、防災への動機付けになっています」(髙橋氏)
「激甚災害対策特別緊急事業」第1号「真室川災害」(写真提供:真室川町役場)
もうひとつは、髙橋氏が事業を継いだのちに参加した、勉強会での出来事でした。
「平成20年頃、公的支援機関からお声がけがあり、BCPについての勉強会に参加したんです。そこで講師の方がおっしゃった『事業継続の妨げとなるのは自社を襲う自然災害だけではない。その自然災害、さらにその他の原因によるサプライチェーンの寸断やサプライチェーンに連なる企業の事業停止も、自社の事業継続が危うくなる。その対策のため、常日頃から『何かあったときの代替となる物流ルート、仕入れ先、土地や建物の確保を考えておくこと。そしてそうした対策が、平時での新たな取引先の発掘や、効率のいい事業運営にもつながる』という言葉に、目からうろこが落ちる思いでした。そしてさらに『会社の存続が危うい状況で、すべての事業を残すことは不可能。本当に重要な事業を残すために、一部の事業を“切り捨てる”ことも経営者がとるべき決断』というアドバイスも、深く心に残りました。ジギョケイの策定にあたっては、こうした考え方に基づき、検討を進めました」(髙橋氏)
事業そのものを守るため「事業の“切り捨て”」も想定
そのジギョケイの内容は、主に水害、そして雪害への対策が中心となっています。
「本社社屋は川に近い立地ですが、川そのものとは大きな高低差があるため、直接の被害はないと想定しています。しかし社員の通勤経路によっては川の増水、溢水が移動の妨げになることがあります。そのため社員には身を守ることを最優先とするよう徹底し、さらに電話、SNSなどを使った安否確認の仕組みを策定しました。一方雪害は、水害同様に交通障害の発生が被害の中心となりますが、もうひとつ大きなリスクとして考えられるのが停電です。短時間に大量の降雪があると、雪が積もった木の枝が折れたり、木そのものが倒れたりして送電線を切断し、停電を引き起こすのです。こうした事故は送電線が通る山間部で発生するため、現場の特定が難しく、また復旧作業は降雪が落ち着いてからになるため、時間を要することがほとんどです。こちらへの対応は、ジギョケイ認定後に追加のBCP対策として行うこととしました」(髙橋氏)
そして勉強会で学んだ「事業の“切り捨て”」については、以下の観点で行ったということです。
「その事業が『自社でしかできない事業かどうか』『自社が手を引いたら他社に大きな迷惑がかかるかどうか』です。取引先の多くは、当社以外にも発注先や協力企業を持っていて、そのいくつかは当社と事業分野が重なっています。そうした事業については、いざというときは他社にお願いすることにして、本当に当社でしかできないことに注力することにしました。またそうした“残すべき事業”には、担当する社員が自然災害で通勤できなくなる可能性があるかどうかも織り込んだ内容としています」(髙橋氏)
自然災害以外のリスクも検討し、その対応策を導入
こうして令和2年にジギョケイの認定を受けた同社ですが、髙橋氏はジギョケイ策定にあたって浮かび上がった課題について、さらに対策を続けました。
「まずは非常用自家発電機の導入です。一応は工場全体が稼働可能な出力になっていますが、停電が長期にわたる場合は“残すべき事業”のみに注力することも想定しています。つぎに製品の製造データなどの簡易クラウドへの移管です。本社社屋が水害等に見舞われサーバーのデータが損失するといった可能性は影響は少ないと考えていますが、取引先とのやりとりが徐々にウェブに移行してきていることもあり、その親和性と情報のバックアップという観点から導入しました。将来的には現在オンプレミスで動いている基幹システムや生産管理システムなどもクラウド化し、さらに強靱性を高めたいと考えています」(髙橋氏)
また社外での万一に備えた対策も強化しました。
「ジギョケイでは従業員の安否確認を電話やSNSで行うこととしましたが、より効率的に取り組むため、災害発生時に従業員のスマートフォンに安否報告のメール送信やプッシュ通知が行われる安否確認システムを新たに導入しました。また毎日工場から出荷される製品が安全かつ確実に納品されること、またそのルート上で不測の事態が発生したときに状況をきちんと把握し、適切な対応がとれるよう、通信型ドライブレコーダーを納品車に装着しました」(髙橋氏)
さらに本社社屋そのものの防犯対策にも新たな取り組みを行いました。
「ジギョケイを申請した令和元年には、京都のアニメーション制作会社に不審者が侵入し、ガソリンをまいて放火し、多くの社員が亡くなるという痛ましい事件が発生しました。その動機は思い込みによる不可解なものとされていますが、そうした動機であれば、日本中どこの会社でも起こりうる可能性があるということです。もちろん、守衛を常時配置するといった人的な予防策が最適解ですが、当社のような小さな会社にそうした体力はありません。そこでまずは本社社屋周辺を複数のカメラで監視する『構内状況確認システム』により、24時間、オンラインでどこからでも確認できるようにしようと。これはまず犯罪予防の第一段階で、つぎには入出館管理システムにより、さらに厳格な不審者対策を行う予定です」(髙橋氏)
現在、目指すべきBCPへのこだわりから、自社の世界観にとらわれず、災害時に力を発揮する「堤防の嵩上」や「高規格道路の整備促進」など「国土強靱化」を目指し、国や行政への働きかけもされています。
事業継続のためには製造拠点の移転、新事業創出も企図
一方、髙橋氏はこうした個別の事業継続対策とは別に、事業所の所在や事業分野そのものをも見据えた将来像を検討しています。
「父が『地域に働ける場所を』と考えて起業した当社ですが、現実は急速な過疎化で、当地の労働人口そのものが減少しています。つまり人手不足が、事業継続の最大の課題になりつつあるのです。そこで優秀な若い人材を確保すべく、広告を出稿し会社の魅力をPRする、地元のJリーグチームの賛助会員となり露出を増やす、県が進めている『子育て支援企業』の認定を受けるなどの対策をとっています。しかし、ただそうした努力も人口減少という社会の大きな流れには打ち勝てないのではないかという思いも、一方ではあります。最終的には企業の存続のため、将来的には生産部門を労働人口が確保できる地域に移転することも視野に入れなければならないかもしれません。ただ、本社機能は真室川町から移転しません。この真室川町には、豊かな自然、広い土地があります。そうした地の利を活かし、製造業ではない別の事業を興すこともありうるでしょう」(髙橋氏)
実際に同社は、製造業とは異なる事業として、漢方の栽培も手がけています。
「人口減少と政府の減反政策で、真室川町には耕作に使われなくなった農地、いわゆる耕作放棄地が多く残されています。その土地を使い、精密機械の組み立てが難しくなった高齢社員の活用を図るため、漢方生薬の栽培に乗り出したのです。これには中国の経済成長で、これまで輸出されていた各種漢方が国内消費に振り向けられるようになるという予測も含んでいます。現在、地域の大学と共同研究をしており、将来的には事業の柱のひとつにしたいと思っています」(髙橋氏)
ジギョケイの認定後も「目指すべきBCPの姿」にこだわり、そしてさらには「環境の変化に対応できる事業体として将来あるべき姿」も視野に入れる髙橋氏。その考え方は、BCPを考える上で、多くの経営者の参考になるのではないでしょうか。