阪神電車 尼崎駅から車で大阪湾方面に走ること約5分。阪神高速5号湾岸線 尼崎東海岸出入口のすぐそばという好立地に尼崎鉄工団地協同組合がある。
大阪湾に面したこの地域は、大規模なロジスティクスセンターや工場といった工業施設が立ち並んでいる印象があるが、近年は開発が進み、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)をはじめ、広大な面積を有する運動施設や公園など、多くの人が訪れる観光スポットとしても人気が高まっている。
尼崎鉄工団地協同組合が設立したのは、今から54年前の1967年のこと。当時、国内産業は高度経済成長期のまっただ中であったが、工場制限法の適用や、周辺住民からの公害や騒音といった苦情が相次いだことで社会問題になり、尼崎市内で操業していた一部の製造業は移転を余儀なくされた。
そこで、国及び県、市の中小企業施策に基づき、鉄鋼や金属製品、機械・電機器具といった製造業の中小企業24社が新たに設立された尼崎鉄工団地協同組合の組合員となりこの地に移転。2年後の69年には、全社が新工場での操業を開始した。
これにより、一連の社会問題を解決すると同時に、相互扶助の考え方に基づく共同化によって組合員は経営体質が改善し、さらなる技術の発展や生産性の向上を目指すことが可能になった。
2017年には設立50周年の記念式典を開催。半世紀という大きな節目を迎え、今後の組合の運営の方向性を組合員らが模索していたちょうどその頃、2018年9月に台風21号が関西に上陸した。
この当時の状況を、尼崎鉄工団地協同組合 専務理事兼事務局長である宮田德三氏が当時を振り返った。
「関西空港につながる道路の橋脚に大型船が衝突し、空港のライフラインが一時寸断されたことで全国的なニュースになりましたが、あの台風21号の風水害は、私たちにとっても想定外の被害が出たことで今でも鮮明に覚えています。具体的な被害は、組合員の施設の屋根が飛んだり、私どもの事務所の天井が落ちたりというようなことがあったほか、組合企業に電力を供給する共同受電システムが支障をきたしたことで約1日停電し、組合員のみなさまの操業に大変な迷惑をおかけしたことがありました。とはいえ、あれほど強風でありながら、人的被害が一件もなかったのが不幸中の幸いだと思っています。事業を継続する点については、多くの課題が見つかり、その後の組合の会合では、自然災害に対して具体的な策を講じないといけないという方向で意見がまとまりましたが、一方で組合員から財政的な支援が得にくいという状況もあり、別の方法での支援を検討するという結論に至りました」(宮田氏)