ジギョケイ事例インタビュー ~令和6年能登半島地震を受けて~

株式会社鍜元重機

代表取締役
鍜元 裕
業種
建設業(解体工事業)
所在地
石川県輪島市町野町寺地2085-2
従業員数
23名
ホームページ
https://www.kajimotojuki.com/
人と環境にやさしくをモットーに、解体工事一筋30年。地域に密着し、さまざまなものの解体工事を手掛けてきた鍜元重機。令和6年の元日に発生した能登半島地震で解体需要が急増し、自社では対応が難しくなったことから連携型ジギョケイを策定。震災の教訓をもとに、地域の復旧に貢献できる体制づくりに努めている。

震災で学んだ“備え”の本質

「まず第一に困ったのが、それぞれと連絡がつかないことでした」(鍜元氏)

震災が起きた瞬間、電気・水道はもちろん、携帯電話もつながらなくなり、通信手段が完全に遮断された。安否確認すらできず、わずかに電波が届く場所を探して着信履歴を確認するしかなかったといいます。
「海岸線の駐車場の先でLINEがつながるという情報を聞きつけていってみると着信履歴が溜まっている状況で、もう連絡の取りようがない」(鍜元氏)
この経験が、事業継続力強化計画(ジギョケイ)への取り組みの原点となりました。

解体業だからこそできた“応急対応”と仲間の力

「会社には発電機があり、燃料も(ガソリン)スタンドが、電気がないなかで、手回しポンプで分けてくれたので何とかなりました」(鍜元氏)

寒さ厳しい1月、車を暖房代わり過ごすことも。そんな状況のなか、会社に来られる従業員には集まってもらうことに。通常業務はできない中、市から避難所のゴミ収集を依頼され、ダンプを活用して支援を開始。その他自社倉庫を間仕切りして被災した従業員の住宅替わりに提供するなど、地域や従業員のためにできることを模索しながら行動していました。

協力会社との“連携”は、震災後に気づいた課題

「協力会社で連携していければ良いという意識はもちろんあったんだけど、それが災害に対して重機を貸し借りするといったことまで認識してたかというと全然(していなかった)」(鍜元氏)
震災前は「忙しくなったらお互いに手助けする」程度の認識だったが、連絡がつかない状況を経験し、連携の重要性を痛感したといいます。

「まず、連絡がつかなくてもこの地域に住んでいる従業員が避難する場所を把握することから取り組みました」(鍜元氏)

災害時にすぐ動けるよう、燃料はなるべく満タンに、発電機も常時備える。そんな“日常の備え”が、事業継続の鍵と言えるかもしれません。

ジギョケイは「特別なこと」じゃない、“日々の延長線上”にある備え

「一番単純なことですが、そういったところから取り組んでいければと思っています。今はその最中です」(鍜元氏)

鍜元氏が語る日々の業務の中でできる小さな備え。それは特別な設備や大がかりな訓練ではなく、普段の仕事の延長線上にある行動が、いざというときに会社と従業員を守る力になります。
「今は能登半島全体が被災しているので、どこに行っても大変ですが、これが輪島の一部や隣町の一部であれば、応援に行けます」(鍜元氏)

地域全体が被災した場合は動きづらくても、被害が局所的であれば、他の地域から支援に入ることができます。そのためにも、平時からの備えと連携が不可欠です。ジギョケイは、災害時に“動ける会社”になるための準備であり、特別なことではなく、日々の小さな積み重ねで成り立つものなのです。

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